群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原にある鬼押出し園(プリンスホテル直営)の紹介です。
今回は、入園口→溶岩地帯への橋の紹介の続きです~撮影日は2017年06月03日です。
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鬼押出し園 限定 鬼ベアや浅間山観音堂の鐘楼、鬼押出し園 おもしろ岩探し!!の紹介があります。
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鬼押出し園 限定 鬼ベアや浅間山観音堂の鐘楼、鬼押出し園 おもしろ岩探し!!の紹介があります。
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園内 史跡 ご案内があります。
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園内 史跡 ご案内があります。
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浅間山観音堂です~天明3年、浅間山大噴火で犠牲になられた方々のご冥福を願って昭和33年5月25日に東叡山寛永寺別院として開創されました。ご本尊は東叡山寛永寺伝来の聖観世音菩薩です。厄除観音として知られております。
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浅間山観音堂です~天明3年、浅間山大噴火で犠牲になられた方々のご冥福を願って昭和33年5月25日に東叡山寛永寺別院として開創されました。ご本尊は東叡山寛永寺伝来の聖観世音菩薩です。厄除観音として知られております。
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惣門と二天尊像です~天和2年東叡山寛永寺山内に了翁禅師によって建立された勧学寮の表門でであり、昭和41年5月当別院の惣門として東叡山寛永寺より改修移築されました。惣門の左右にご安置されている二天尊像は、五代将軍綱吉公ゆかりの尊像で公の没した宝永6年綱吉公の霊廊が寛永寺に造営され、その二天門の左右に祀られた二天の尊像です。昭和42年には修理を施されてこの浅間山観音堂の堂内にお移り願いました。その後、昭和62年5月当惣門にご安置申し上げたものであります。
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惣門と二天尊像です~天和2年東叡山寛永寺山内に了翁禅師によって建立された勧学寮の表門でであり、昭和41年5月当別院の惣門として東叡山寛永寺より改修移築されました。惣門の左右にご安置されている二天尊像は、五代将軍綱吉公ゆかりの尊像で公の没した宝永6年綱吉公の霊廊が寛永寺に造営され、その二天門の左右に祀られた二天の尊像です。昭和42年には修理を施されてこの浅間山観音堂の堂内にお移り願いました。その後、昭和62年5月当惣門にご安置申し上げたものであります。
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二天尊像です~右側に持国天(じこくてん)、左側に増長天(ぞうちょうてん)です。
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二天尊像です~右側に持国天(じこくてん)、左側に増長天(ぞうちょうてん)です。
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浅間噴火記念碑です~時の嬬恋村大笹名手黒岩長右衛門大栄は再びあるかもしれない大爆発の被害を少しでも小さくなるように、このことを碑に残そうと思い、当時の江戸の狂歌師大田南畝に碑文の作成を依頼しました。
大栄は目的を果たせませんでしたが、その子長右衛門が父の志を継いで大笹宿の山根に文化13年に建立したのがこの碑であり、今は鬼押出し園で管理しています。
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浅間噴火記念碑です~時の嬬恋村大笹名手黒岩長右衛門大栄は再びあるかもしれない大爆発の被害を少しでも小さくなるように、このことを碑に残そうと思い、当時の江戸の狂歌師大田南畝に碑文の作成を依頼しました。
大栄は目的を果たせませんでしたが、その子長右衛門が父の志を継いで大笹宿の山根に文化13年に建立したのがこの碑であり、今は鬼押出し園で管理しています。
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石燈篭です~表参道・裏参道にあります。
浅間山観音堂建立に伴い昭和32年東叡山寛永寺より当園に移設。各諸大名から徳川家に献上された石燈篭です。関東大震災で倒れたため一部が破損しています。現在40基があり、春日型燈篭がほとんどです。
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石燈篭です~表参道・裏参道にあります。
浅間山観音堂建立に伴い昭和32年東叡山寛永寺より当園に移設。各諸大名から徳川家に献上された石燈篭です。関東大震災で倒れたため一部が破損しています。現在40基があり、春日型燈篭がほとんどです。
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浅間山観音堂の鐘楼です~天明大噴火の罹災者とご先祖各霊をお慰め申し上げたいとの発願により、故堤康次郎氏の寄進によって昭和35年10月建立されました。有縁の人々の手によって日々美しい鎮魂の音色を浅間の山に響かせています。
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浅間山観音堂の鐘楼です~天明大噴火の罹災者とご先祖各霊をお慰め申し上げたいとの発願により、故堤康次郎氏の寄進によって昭和35年10月建立されました。有縁の人々の手によって日々美しい鎮魂の音色を浅間の山に響かせています。
さすが堤康次郎さんです(堤義明さんの父親です)!。